づれづれなるがっちょ

よしなしごと

秋山隼人に抱く感情が分からない



秋山隼人に抱いている感情がわからなくて困っています。お前の感情くらいお前でなんとかしろよって話なのですが、本当に分からない。
「そんなに好きならもう担当なんじゃ」
と言われたことがあって、今は担当だということにして自分を納得させているんですが、隼人くんが担当かと言われるとやっぱりちょっと違う気がするんです。
担当と言ったら、「この子を見守りたい」「この子を支えたい」「何よりもまずこの子を優先したい」などど考えるんだと私は思います。担当という肩書きを背負う分、彼の分も重みまで私の肩に寄りかかってきます。それになによりも、担当となればアイドルと一般人という線引きの、同じ区切りの中に立つことになります。「秋山隼人が担当だ」とこの感情を整理するとなんだかここが違う気がするんです。秋山隼人くんと私が同じ世界で隣で微笑んでいるなんて想像もしたくないんですよ。秋山隼人くんはもっと神聖で眩しい存在であり、私のような下々のものと触れ合うべき存在でも無いと思っています。私が秋山隼人くんと会話なんてしたら引かれちゃいそうだな…とか、そんなことばかり考えてしまうのであまり担当とも呼べないような気がします。秋山隼人くんに何かあったら助けてあげたいし何があっても守りたいけれど、私ではそれは力不足のような気がするのです。
じゃあ推し?ファン?呼び名は色々ありますよね?
自分が秋山隼人くんをファン目線で見ているのかと言われてもまたちょっと違うような気がする。ファンだと遠すぎる。ファンだと呼ぶにはもう私は秋山隼人くんのことを知り過ぎてしまったんだと思います。もうただのファンには戻れなくて。
じゃあ推しってよく言うじゃないですか。でも推しって「あなたを推しています」ってことでしょう。私が推すまでもなく秋山隼人くんは最高の存在なんですよね。ほんとに。誰がどう見てもきっと秋山隼人は最高のアイドルとして映るんだと確信しています。だから「この子ちょっといいな、推せる」みたいな軽い気持ちで秋山隼人くんのことが好きなわけじゃないんですよ。
夢女という概念もあるけれど、その枠には別の人が居ますし、秋山隼人くんと結婚したいわけではないんです。
ワガママなオタクで申し訳ない、本当に申し訳ないんですけど、今までであったどんな言葉でも秋山隼人くんへの思いがうまく表せない。秋山隼人くんのことを私が助けられる自信なんてひとつもないから、担当だって胸張って名乗ることもできないし、かと言ってもう秋山隼人くんを画面の向こうの偶像として見ることも出来そうにないんです。
私は秋山隼人くんに助けてもらってばかりで、少しでもあなたの事が好きなんだよって伝えられたらいいなと常々思っています。でもその愛の伝え方が難しいのです。担当という言葉の重みと難しさを感じてしまいます。
ちなみに私が担当だと胸を張って公言している2人のアイドルを悪く言っているわけではないです。逆に担当2人への愛の種類と、秋山隼人への愛の種類がなんだか違うから困っています。
アイドルマスターに関わったことのあるプロデューサーさんはこんな時どうやって自分の感情と向き合っているんでしょう。

なんの解決もしない雑文になってしまいました。。