づれづれなるがっちょ

よしなしごと

【再】FGO6章をクリアしてドラマCD「Garden of Avaron」まで聞いた話

FGO六章を今日、クリアしました。
それまでにfateシリーズに全く触れたことが無かった私がFGOを始めることになってしまった原因はマーリンにあります。
まあ、マーリンが絶対に好きそうだという予感に基づいたものだったんですけど。
優しいフォロワーさんの支えもあり、ついにここまでたどり着くことができました。本当にありがとう、みなさん。
六章の雑な感想と、ドラマCDの雑な感想が続きます。読んで欲しいというよりは自分の感情の記録のようなものです。
ですから、読んで欲しいところは先に言います。
三蔵ちゃんをどうしても引きたいので運営さん石ください!



六章は円卓の騎士と相対する物語として、私には大きな期待がありました。マーリンは円卓に大きな関わりがあることくらいはさすがに私にも分かります。だからマーリンを知る上では重要な章なのだろうと。

蓋を開けてみたら六章、聖地はとんでもないことになっていました。聖地に突如現れるエジプト領、キャメロット……
偉大な王とされたアーサー王は、彼…彼女は、狂っていました。そしてそれに仕える円卓も。
そして共に旅路に加わるベディヴィエールについて。彼は円卓の騎士でありながら、あの狂った円卓には呼ばれることはなかった。

この物語はルキウスの独白から始まりました。
結局結論を知ってしまえばこう言えるというだけですが、この物語はわたし達の人理修復の戦いであると同時に、数多の英霊の後悔を、やり残したことを精算するような物語なのかもしれません。
この六章はまさにルキウス、つまりベディヴィエールの旅の終わりの、始まりでした。
ベディヴィエールはアーサー王の一番の忠臣でありました。アーサー王は彼の繊細さを必要としていた、そしてベディヴィエールは自分には到底到達できはしないだろう、彼のの王としての眼差しに敬服し、心からの敬愛を注ぐ。そのベディヴィエールが獅子王に召喚されていない。そう、獅子王には、ベディヴィエールが居なかったのです。
それは獅子王の意図的なものかと始めは思っていました。人間の心を捨てるためには、人間の心であるベディヴィエールを捨てれば良いとの判断があったのかと。
でも違っていた。それはベディヴィエール自身の過ちだった。
ベディヴィエールは自分の果たせなかった忠義の為に、1500年もの間なにを思っていたのでしょうか。蘇るアーサー王との日々も、数えても10年もないでしょう。アーサー王に必要とされたその10年足らずの日々に正しい終わりをもたらすために、彼はどれほどの代償を払ったのでしょう。
ベディヴィエールは人間でした。長い長い年月を経ても人間であり続けられたのは、彼の凄まじいまでの敬愛と後悔があったからなのでしょうか。どうあろうと善を信じ、善であろうとし、肥大してしまった自分自身の罪を打ち破りました。そしてそれはマシュにとっては、敬うべき存在として、先輩として写ったのでしょう。マシュのいう先輩の定義、最高ではなく最善を望む一般人、他人を傷付けず、自分を弛めず、まっすぐに立っていられるそんな誰かとして。
先輩が増えたと楽しそうにはしゃぐマシュの姿をこんなにも嬉しく思ったことはありません。マシュの精神的な成長にもめざましいものがあります。これからの旅を経て、マシュはどのように成長するのでしょうか。新米マスターはこれからも傍で見守っていきたいと思います。



そして、六章をクリアしたタイミングでドラマCD『Garden of Avaron』を聞きました。長くなってしまいますので、これはマーリンに焦点を当てて感想だけ。
人の罪が分からないとマーリンは言いました。人の心が分からないと彼は言いました。だから、人の世界ではどれほどの罪を抱えていようと、マーリンに課せられた罪はない。罪なき者、それはこの世界でマーリンだけである。
この論理ですよ、この論理。この論理がマーリンだよ。ええ。
マーリンは人ならず者、人には興味はないんだ。彼の千里眼に映る1枚の絵がより、美しいものであれば良いだけなんだ。だから、個人に対する興味はない。わたし達は例えばなにか有名な名画を見て、その美しさを論ずることはあっても、その中に映る何気ない名前すら与えられない個人の生き死にを考えるでしょうか?きっとマーリンにとって世界はそう見えているのでしょう。マーリンにとっての美しさの基準が、わたしたち人間の世界のハッピーエンドと重なっただけなんですよ。
そんなマーリンの心を揺らしたただ一人の存在がきっと、同じく人ならず者の、アルトリアという少女の「恋をしていたのかもしれません」という言葉だったんだろうと思うと胸が苦しいです。二人とも恋なんていう言葉も、その意味そして本質も、その時点ではきっと何も分かっていなかったんだと思います。ただ、人ならず者の二人が抱いた小さな心のゆらぎに、一番人間らしい愛情を示す言葉を置いたことに意味があると思うんですよね。
アルトリアの今を見届けてマーリンは笑いました。こんなハッピーエンドが待っているとはね!
マーリンは、それをこの目におさめて幸せだったんでしょうか?
そもそもマーリンにとって幸せを感じるというのは、どういう時なんでしょう。楽しい時、幸せなときにマーリンは笑っているのでしょうか。
アルトリアが人々の幸せを見て笑い、自身の幸せのために笑うことが無かったように、マーリンは?

それを考えるために7章を駆け抜けたい、それが今の抱負です。

六章も、ドラマCDも本当に面白かった。本当に。これほどのシナリオでぶん殴られれば、FGOを勧めてくれたすべての人々に感謝の意を告げずにはいられません。本当に、ありがとう。